weave my story特別対談

~二人のRINTARO~

アメリカの名門大学からフルスカラシップを受け、
異国の地で学業と野球の両立に挑んでいる
佐々木麟太郎、20歳。
2023年に日本アマチュアゴルフ選手権を制し、
創部90年の歴史を誇る早稲田大学男子ゴルフ部で
初のアマ日本王者となった
中野麟太朗、21歳。

野球とゴルフ。異なる競技で切磋琢磨する2人の「RINTARO」に、
これまでの取り組みや今後の夢について話していただきました。

佐々木 麟太郎野球
中野 麟太朗ゴルフ

佐々木 中野さんとは同じ「リンタロウ」という名前でシンパシーを感じていました。なかなか「麟」の字まで同じ人っていないんです。

 中野 別の漢字の人ならいますけどね。小学生の頃は「麟」の字が書きづらかった(笑)。

佐々木 24画もありますから(笑)。

 中野 名前の由来自体は知っていましたけど、大きくなって勝海舟という人物を知ると、両親の願いみたいなものも感じるようになりました。未知のことに挑戦したり、逆境に立ち向かう人生を送ることの大切さというのかな。

佐々木 自分もアメリカの大学に入学する前に都内の勝海舟記念館に行かせていただいたとき、両親が命名してくれた深い意味を理解できたように思います。私が進んでいるのも前例のあまりない道なので、この名前がいいモチベーションにもなっています。

 中野 アメリカの大学に進むにあたって最初は英語は?

佐々木 いや、ほとんどできませんでした。

 中野 すごいなあ。それはすごい。

佐々木 アメリカの大学なんて小さい頃はまったく想像していませんでした。だから進路の選択は迷いました。父親が高校の監督だったんですが、その時に言われたのは「人生の勝者になれ」と。野球の勝者になっても人生の勝者になれないと言われたんです。

 中野 ずっしりと響く言葉ですね。

佐々木 当時はほぼ野球のことしか考えていませんでしたが、確かにそうだよなと。一瞬の喜びではなく、一生の喜びになる道はどれなのか。それを考えて決めました。一番リスクはあったと思いますし、自分の結果次第で今後この進路に対する日本の方々からの評価が変わってくるという責任も感じています。

 中野 授業ももちろんすべて英語で受けているんですよね。

佐々木 そうですね。まだ全然パーフェクトじゃないですし、たまに通じなくて悔しい思いもしますが、全部が英語の環境にいると習得スピードは格段に上がります。ようやく1年終わりましたが、アメリカの大学のルール上、学業の成績が一定程度取れていないと試合や練習への参加に制限がかかってしまうので大変です。中野さんは明治大学の系列校から早稲田大学に進学していますよね。プロフィールを見て気になっていたんです。

 中野 僕は高3で初めて全国制覇したときに、プロを見据えて大学では何をすべきかを考えました。佐々木君のようにアメリカの大学までは選択肢になくて、スイングの動作解析のようなスポーツ科学に興味がありました。でも、明治にはスポーツ科学部がなくて、それで選んだのが早稲田。ただ、2年生の頃は人に教えるためのトレーナーコースに進んで、結局いまはスポーツビジネスがすごく面白くなってしまっています。

佐々木 自分もそうですが、考えていた道とは違う方向に進んでいくものですね。

 中野 学問的な知識を得ると同時に、同じ分野に興味を持つ優秀な友達との出会いも大きいんです。「こんな考えを持ってるんだ」と気づかされることが多くて、そうした人との出会いも大学での貴重な財産です。アメリカだともっと多様な考えを持った人がいそうです。

佐々木 確かにそうですね。今までの固定観念が全部覆されて、いろいろなものに対して疑問や自分なりの意見を持つようになりました。帰国して日本の野球を見ていても、どうしてそうなっているんだろう?と考えるようになりました。

 中野 ゴルフでも170㎝ぐらいの選手が一番飛ばしたりします。常識を覆されますよ。

佐々木 自分よりも体が小さくても、恐ろしいほど力の強い人がいますからね。

 中野 アメリカでは生活面でも苦労があったんじゃないですか。

佐々木 寮生活ではありますが、免許もなかったので移動するのも大変でした。国が本当に大きすぎて、車がないと生きていけません。大学の構内もとんでもなく広いんですよ。乗っていた自転車がパンクしてしまい、周りに何もない夜道を自転車を引いて30分以上歩いたこともあります。大学の諸々の手続も全部自分でしないといけない。日本だと誰かしら助けてくれる人がいたんですが、そういうわけにはいかなくって。

 中野 よくわかるなあ。8月の全米アマは出場が決まるのが遅くて、公式ホテルにもう空きがなかったんです。別のホテルに回されたんですが、コースからの送迎バスが公式ホテルまでしか行ってくれない。「僕のホテルにも行ってください」とお願いしても、運転手さんは「それは俺の仕事じゃない」って相手にしてくれない。仕方なくゴルフバッグを担いでひとりで30分歩いて帰りました。絶対に見返してやろう!という気持ちになりましたよ。でも、そういう不自由さが、試合で心に火をつけてくれた部分もあったと思います。

佐々木 昔からずっと父に言われていた考え方が、アメリカでは役に立ったんです。

 中野 どんな考え方なんですか。

佐々木 「計画や準備は悲観的にする」ということです。ポジティブにいった方が楽しいけど、ネガティブに考えて不測の事態を想定しておく。そうすると何かが起きても想定内と思える。最終的な行動は楽観的になれる。だからアメリカに行く前もリスクばかり考えていました。実際に行ってみると、やっぱり大変なことがたくさんあったので、悲観的に準備しておいてよかったなあと思いました。

 中野 僕が父親から嫌というほど言われたのは「常に謙虚でいなさい」でした。練習も試合も遠征も、どれだけの人のサポートのおかげでゴルフができているかを考えなさいと。父は仕事柄、そういう気持ちを忘れてしまった人をたくさん見てきたんだと思います。「謙虚って、もうわかってるよ」なんて思ってる時ほど傲慢な自分になってしまっている。だから、いまだに言われることがあります。

佐々木 高校生の歴代最多ホームラン記録を作ったときに同じように言われました。「誰が支えてくれているのか、そういうのを忘れたら野球人生は終わるぞ」と。アメリカに行ってすべて自分でやらなきゃいけない状況になったことで、今までどれだけ周りに支えられていたか、同時に甘えていたかを感じました。人間的な成長ってフィジカルトレーニングと似てますよね。筋肉は負荷をかけて壊れて、それが再生することで強くなっていく。それと同じで、自分自身に負荷かける必要があるんだなと。

 中野 間違いないですね。佐々木君はフィジカルもとても立派ですが、昔から大きかったんですか?僕は高2まで66㎏だったのが、高3から食事やトレーニングに取り組んで84㎏まで一気に上がりました。でも、海外で戦うとなると、パワーや飛距離は永遠の課題です。

佐々木 元々大きかったですね。ただ、アメリカに行ってから一段と変わりました。体重だけでなく出力が上がって、足まで速くなりました。正しいトレーニングの知識、食事の摂り方、あとは睡眠。この3点セットで、怪我をしない強い体を生み出せています。

 中野 睡眠は大事ですね。僕は8時間が目標ですけど、だいたい7時間で目が覚めます。普段はそれぐらいで十分みたいです。

佐々木 自分は8時間以上寝るように心掛けています。授業の予習復習で寝るのも遅くなることもあるので、アラームを逃すこともしょっちゅうあって(笑)。あとは授業の合間に少しでも時間があれば、30分でも仮眠を取ってリフレッシュするようにしています。

 中野 寝具の合う、合わないもありますよね。

佐々木 だから自分は大学の寮の自分の部屋にエアウィーヴのクイーンサイズのマットレスを持ち込みました。部屋の半分くらいを占めてしまっていますが、やっぱり睡眠が最優先ですから。

 中野 寮の備え付けのベッドと入れ替えたんですね。

佐々木 そうなんです。体が大きくて重さもあるので、普通のベッドでは沈んでしまうんです。それがエアウィーヴのマットレスだと浮いているように感じます。適度な力で支えてくれるので寝返りも打ちやすい。通気性がよくて蒸れない感じもいい。暑いと夜中に目が覚めてしまいますが、涼しく感じてぐっすり眠れます。小さい頃からこの体格だったので、寝覚めのコンディションの違いを感じます。朝起きたときに腰や首が痛いことがなくなりました。中野さんは何かありますか?

 中野 佐々木君に全部いいところを言われちゃったよ(笑)

佐々木 すみません!(笑)

 中野 まあ、ゴルフだったら国内外で試合があるので、遠征中の睡眠も課題でした。ホテルのベッドが合うかどうかは運次第。合わないとぐっすり眠れないこともあります。でも、エアウィーヴのマットレストッパーなら、沈み込むことがなくて体を楽に預けられる。翌日のラウンドに向けた疲れの抜け具合が違うので、遠征には毎回ポータブルを持参しています。

佐々木 中野さんは4年生だからもう少しで学生生活も終わりですよね。そのあとはすぐにプロに?

 中野 そうですね。まずは日本でプロになって、最終的には世界最高峰の舞台、アメリカのPGAツアーで活躍することを思い描いています。一番権威のある4つのメジャー大会、それをすべて勝つ「グランドスラム」を達成したいです。

佐々木 自分の最終的なゴールはメジャーリーグで活躍すること。この先の道筋がどうなるのかはわかりませんが、前例のないような、そういう道を貫き通す野球人生でありたいなと思います。

 中野 競技は違うけど、佐々木君の考え方を知ることができてとてもおもしろかったです。まだまだ話し足りないぐらいです。

佐々木 自分も学ぶことばかりでした。同じRINTARO同士、一緒に世界で頑張っていきましょう!

(構成・雨宮圭吾)

PROFILE

中野 麟太朗

2003年生まれ、東京都出身。
父親が読んでいたゴルフの漫画がきっかけとなり、7歳でゴルフを始める。
2021年には全国高等学校ゴルフ選手権と関東アマチュアゴルフ選手権の2冠を達成。
早稲田大学進学後は個人では日本アマチュアゴルフ選手権優勝。
団体としては全国大学ゴルフ対抗戦優勝。
両部門で全国制覇を果たし、男子としては同大学ゴルフ部創部以来初の快挙を成し遂げる。
現早稲田大学ゴルフ部主将。
2023年にはナショナルチーム入りを果たし2024年のアジアパシフィックアマチュア選手権3位、2025年には全英アマベスト16、全米アマベスト32、世界アマ個人8位と、世界の舞台でも結果を残す。
日本アマチュアゴルフ界を牽引する選手の一人として数々のメディアにも取り上げられ、プロ転向後の活躍にも期待が寄せられている。

佐々木 麟太郎

2005年生まれ、岩手県出身。
幼少時から野球を始め、江釣子中では大谷翔平選手の父・徹氏が監督を務める金ケ崎シニアに所属し、2年夏に「4番・サード」で東日本選抜大会優勝。
花巻東高では1年春からベンチ入りし、同夏は県大会準優勝。同秋は県大会、東北大会を制し、明治神宮大会4強。3年夏には岩手大会優勝で、甲子園は1回戦から3勝を挙げ、準々決勝進出。
高校野球史上最多となる通算140本塁打を記録したスラッガー。
卒業後の24年に米国の名門大学に進学。
NCAA(全米大学体育協会)1部のリーグ戦に出場し、打線の中心として活躍。
米大学野球での初シーズンでは全52試合に出場、201打数54安打の打率.269、7本塁打、41打点、OPS.790を記録。
本塁打数はチーム4位、打点数は同3位だった。